2011年3月6日
関節鏡手術の達人、『自立の医療』を目指して(前編)
鈴木 隆先生。
1967年生まれのお医者さまです。
現在、大阪赤十字病院 整形外科副部長。
スポーツ・肩外来 関節鏡手術担当。
・・・今回は、整形外科のお医者さま、しかもスポーツ系。
ご縁を戴いたのは、東京開催された「幸塾」での会合でした。
ちょっとスピリチュアルな会合なんですが・・・。
そういう会合で、お医者さまの存在って、珍しいんです(^^;)
さらに超党派の政治家集団「龍馬プロジェクト」にも、
政策ブレーンとして名前を連ねておられます。
えーと、もともと、鈴木先生のお家は、お医者様だったんですか?
「いえいえ、両親とも公務員です。父はその後、退職して自宅で塾を開きまして。
小さいころから、両親とも共働きの家庭でした。」
そもそも、どうしてお医者様を目指そうとされたのでしょう?
「実際に医者になろう、と思ったのは高2のときです。
小・中・高時代は、ものごとの真実を探求したいタイプの子どもでした。
星や宇宙もすごく好きで。ものづくりが好きで、図工なんかも得意でしたね。
物理学者とか、建築家になりたいと、漠然と思っていました。
小学校時代から、わりと『考えるタイプ』だったんですよ。
天真爛漫な子どもでは、けしてなかったと思います。
学校の成績は、自分で言うのもなんですが、上の方でした。
クラスでも大人びたところがあって、ちょっと影のある子ども
だったんじゃないかな、と。
両親がね、若い頃はあんまり仲のいい夫婦じゃなかったんですよ。
だから3人兄弟の長男の僕が、しっかりしなければ、と
思っていたところもあると思います。
それに潜在的に、医者ならしっかり稼いで食べていける、と
思っていたんでしょうね。
もちろん、人助けでもありますから。
高校は進学校で、2年生まではテニスに没頭してましたが、
医学部を目指そうと決めて、高3からは受験勉強に没頭しました。
2年生までの成績では、とても無理だって言われたんですけど、
おかげさまで、京大医学部にストレートで合格しました。
担任の先生には、ものすごく、びっくりされました(笑)
集中力はあったんです、はい。
大学でもテニス部に所属して、いやぁ〜、ここでは、はじけました(^o^)/」
そうですよねー。
世はバブルの時代でしたから・・・←(同世代の共感)
そして、京大医学部←(尊敬)
自由な京大の校風で青春を謳歌し、
5回生のときの病院実習で、スポーツにかかわる疾患や運動機能の再建ができる、
整形外科の医師を目指そうと思ったそうです。
「医療としては、前向きな現場なんですよね。
治りますし、元気になる分野ですし。それを手伝える仕事ですから。」
京大卒業後は、原則として1年間は研修医として京大付属病院へ。
6年の大学での勉強の後、研修医として付属病院で1年、2年間は関連の病院、
さらにまた別の関連病院で3年、合計6年で一人前の医師を育てる、というシステムなのだそうです。
鈴木先生は、2年間は市立長浜病院、その後5年間、公立豊岡病院で研修医として勤務。
「豊岡では、バリバリ仕事しました。勤務医としても一人前なので、手術もありましたし、
日頃の業務に励みました。
結婚して子どもも3人授かり、子ども達ともよく遊びましたし。」
そして、33歳の時に、京大病院へ戻ることに・・・。
「ここで、今のスポーツ医学の肩や膝、関節鏡手術という専門分野が決まって、
より限定された分野を極めるようになりました。
関節鏡手術って、ちょっと、もの作りに似ていまして・・・。
おもしろいんですよ、糸を引っ張って結んだりして、クリエイティブな手術なんです。
他の場所の腱を取ってきて、じん帯を作り直すんです。
患者さんの肩に5ミリ程度の穴を開けて
モニターを見ながら、作業をするんです。
えぇ、手術は、とっても細かい作業なんです、大好きです。」
・・・(@.@) (?o?) (^^;)
「子どもの頃から、ものづくりが好きな僕にとっては、ぴったりフィットする仕事でした。
今の仕事には確信を持ってやってます、これは自分の天職だ、と。」
じん帯を作り直すのが大好きな方って・・・、
生まれて初めてお逢いしました、わたし(・・;)
京大病院では学会で論文発表や、海外研修、研究職が主。
そして2004年から大阪赤十字病院で勤務することになります。
「やはり研究よりは臨床をやりたかったので。
ただ、当時、大阪赤十字病院の整形外科ってイケてなかったんですよ(苦笑)
病院のスタッフが、よその整形外科に
診察を受けに行くという・・・(>.<)
スタッフからも信頼されていない病院なんてねぇ。
それで2〜3年は、一つ上の先輩と一緒に、評判を取り戻すべく、
本当に頑張りました。泊りがけの勤務も、よくありました。
ただ、思えば、この頃に頑張りすぎたことが後々になって
起こってきた不調の原因だったのかもしれませんね・・・。」
順調にスポーツ医学のスペシャリストの道を歩んでこられた
鈴木先生、不惑、40歳を迎える年になっていました・・・。
ここで医師として、また人生においても
一つの分岐点が訪れることになるのです・・・。
つづく
***************************
大阪赤十字病院 整形外科
大阪市天王寺区筆ヶ崎町5−30
TEL:06-6774-5111(代表)
e-mail : suzuki-51@hotmmail.com