2010年9月23日
中国・シンセン・香港ツアー報告その2
9月3日からシンセンで2泊、香港で1泊のツアー。
台頭する今の中国の勢いを象徴する街、経済特区のシンセン。
街には、ブランド物が華やかに並ぶショッピングセンターが立ち並び、
秋葉原とおぼしき電気店街では、人がひしめき合っていた。
しかし大きな声ではいえないが(・・;)
ブランド物も、電気製品もまことしやかな海賊版というかニセモノ商品も、
立派にもう一つのビジネスとして、成り立っているのだそうだ。
世界中の企業の工場がシンセンに誘致されている。
どんな製品もコピーしやすい環境になってしまっている。
海賊版が堂々と流通する国である。
欧米のブランド物の革製品もあっというまに真似されて、
立派な「もどき製品カタログ」まで作られて立派なお店があって、
ちゃんと商売として成り立っているのだそうだ。
まぁ、その昔、香港に旅行したときも、
ヴィトンのニセモノを買わないかと
街でさんざん声をかけられたけど・・・(苦笑)
良い悪いは、この際置いといて(・・;)
中国にはもともと「肖像権」とか「著作権」という概念は、ないと思わざるを得ない。
だから中国へ進出する際には、「真似される」ことを前提に、
ぐらいに思っていないとダメなんだそうだ。
だけど、それだけ精巧に模倣するワザがあるのだから、
頭脳と手先の器用さは素晴らしいのだと思う。
そしてホテルや飲食店で見かけたのは、「ホスピタリティ」について。
まだまだ発展途上なのは否めない。
「おもてなしの心」の部分は、まだまだだ、と現地の方は言う。
人材教育が大変だといわれていたが、
40年前の日本だってそんなことは、まだまだ足りていなかったはずだ。
いずれ気がついて、猛然と追いつこうとしてくる。
今の日本の若者に果たしてその吸収力があるだろうか。
その半面、中国でも高度成長の間は、
座っていても物が売れる時代を体験しているが、
いずれは「物が有り余った状態」に直面する時代がきっとくるだろう、と思う。
「癒し」とか「くつろぎ」、「やすらぎ」が必要になる時代も来る。
いつか彼らも疲れを感じるときが、来るだろう・・・。
にょきにょきと急成長するビル街を歩いていて、なんとなくそう思ったのだった。
東京で、東洋思想の私塾に通っているのだが、
そちらの先生がいつも
「これからは老荘思想の時代。
日本ではイチローが老荘思想を体現している。
世界に誇る技術を身につけ、イチローモデルをたくさん生み出すことが、
日本の生き残る道」だと説いておられた。
模倣されない卓越した技術をそれも突出したものを持っていること。
日本人らしさ、を最大限に生かして・・・。
それが日本の生き残る道なのだと痛感した。
やはり机上の理論だけではなく、実際に足を運んで、
見て、聞いてよかったと思う。
日本は世界の中で
「その先にあるもの」を追求する義務がある、と思った。
栄華を極めたのちの、西欧諸国もまだ到達していないところの「何か」を、
いち早く手にすることが、
この国に架せられた義務ではないかと思う。
ほかの国の何処にも負けない「精神性」を
われわれの先人は持っていたと思う。
日本人が日本人であること。
ただ、もとに戻ること。
そこにしか答えはないのではないか、と思った。
歴史をひもとくと、明治維新の頃、
アジアの中で
植民地化されなかったのは日本だけだ。
(それが軍国主義に結びついてしまったのは残念な結果であるが・・・)
私たちは歴史を改めて学ぶ必要があると最近とみに思っている。
中国から帰国して、折も折、尖閣列島の問題が起きてしまい、(しかも海で・・・)
ほんの数週間で日中関係は、急速に冷え込んでしまった。
日本人はのほほんとしていて、この100年あまりの間に何があったのか
まったくといっていいほど知らない。
(→もちろん 自分もだ)
しかし中国の人々は違う。
この100年あまりの間に、どれだけ欧米に、日本に屈辱感を味わわされたか、
彼らは忘れてはいない。
「私達は1915年の『21箇条』を忘れていませんから。」と中国の人に言われても、
果たして答えられる日本人が何人いるだろう。
当時の大隈重信の無謀な要求を、「忘れまじ」と連綿と学校で教えられているのである。
100年もの間、ひたすらに耐えに耐えてきた大国がいよいよ経済発展という力を手にして、
本来の中国のパワーを世界に響かせようとしているのである。
今こそ時至れり、と彼らは思っているのである。
唐の時代、栄耀栄華を極めた中国から、
日本はさまざまなことを
学び、模倣し、お手本にした。
中国は世界の中心である、という思想が彼らの歴史に存在していたのだ。
われわれ日本人はたまたま、100年もの間、『お休み」していた中国に隣り合わせにいただけだ。
経済大国、とおだてられ隣の大国をあなどってしまっていただけだ。
中国へ行けばビジネスチャンスがある、
と
ただ目先のお金儲けのために中国へ乗り込もうとしたら、
手痛い目に合うだろうと痛感して帰って来た。
「それに、中国ビジネスはね、
国交がどうなるかにも左右されるからね」と
言葉の端に口に出していたらほんの2週間で、この騒動である。
この小さな島国日本は、もしかすると今、重大な岐路に立たされているのかもしれない。
その危惧を抱いている人は、どのくらいいるのだろう。
政治のことは分からない、そんなの誰かがやってくれるだろう、
と言っているこの間にも、めきめきと中国は国力を上げている。
日本人はどこか浮かれているようにしか、私には見えない。
日々経済活動に、お金儲けに専念できたのは、
アメリカにおんぶに抱っこで守ってもらっていたからではなかっただろうか。
今回の騒動だって「いざとなったら、アメリカが守ってくれるよ」なんて
また他国に責任を転嫁してはいないだろうか。
もしかすると「20年後、30年後に日本は中国の自治区になってるかも
しれない」と、
有識者の中には本当にそれを懸念している人だっている。
私達は高度成長の時代の先人達の利子で、生きているだけかもしれない。
本当は利子なんて、もうとっくにつかなくなっているかもしれないのに。
日本が日本であるために。
毅然とした精神性を忘れてはならない、と思う。
聖徳太子が隋に向かって「我らは日出ずる国」と
プライドを持って自国を語ったように。
「戦わずして勝つ」ために。
改めて日本人は日本人らしく、
忘れかけてしまった「何か」を今一度思い出し、
取り戻さねばならないと、痛感している今日このごろである。