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メールマガジン「こころざし(志)通信」

2010年10月23日
アイデアとセンス、実行力。挑戦を続ける古都の仕掛け人(前編)

初めて会社に伺った日、社長のブレザーの胸ポケットから、
小さなクマさんのぬいぐるみが顔を出していました。

「あぁ、これねぇ、可愛いでっしゃろ?
これからはね、男も女性化せんとあかんと思てますねん(^^)」 ☆(*^.^*)(*^.^*)(*^.^*)☆

な、な、なんて、おちゃめでオシャレなんでしょう〜♪
私、いっぺんでファンに、なってしまいました、ハイ(^^;)

株式会社 一杢、 人見幾夫社長。
還暦をすぎてなお、「粋」で「ダンディー」。
古都・京都の喪服業界で、次々に新機軸を打ち出し一斉風靡した伝説の持ち主です。

人見社長は、京都生まれの京都育ち。
私立の中・高・大学まで過ごし、1970年、学園紛争のころ、
大学4回生のとき一念発起して、単身、アメリカへ。

バスでNYへ入り、皿洗いのアルバイトなどをして武者修行。
・・・どうしてまた、いきなりアメリカへ?

「僕なぁ、ええとこの『ぼん』でしてん。
父親はサラリーマンでしたけど、役員まで出世しましてお金に不自由したことがない。
家には女中さんもいて。母親にも可愛がられて、欲しい物は何でも与えてもらった。
大学生になって、当時80万円もするクルマまで買ってもらった。
せやけどある日ふと、このままではあかん!何とかせな、とね。」

言葉の通じない異国へ。

人見社長は生まれて初めて、孤独と心細さを味わったそうです。
「でも、まぁ人間やってみたら何とかなるわ、
と いうことがわかって4ヶ月で帰国しました(^^)」

そして大学を卒業し、地元の呉服屋さんに就職。
「いやー、自分で言うのもなんやけど、ものすごい売りましたよ。

28歳で部長になったんです。
会社にはものすごく儲けさせたと思います(笑)
実はね、商売については、僕は若いときから何が売れるか、『観えて』ました。

次はこういうものが来る、当たるというのが自分の職業、
またそれ以外の分野でも、『わかる』んです。」

・・・すごく共感します、その感覚。
なぜか「わかってしまう」、なぜか「見えてしまう」んですよね^^

就職して10年後の1979年、人見社長は独立、
喪服メーカーとして創業します。

そのとき、お父様が本当に 喜ばれ、
毎日、会社へ来てくださったそうです。

「通販いうもんが、まだ世の中にあんまりなかった30〜40年前ですわ、
喪服をテレビショッピングで仕掛けて、これがよく売れたんです。
呉服業界は古い業界で、僕は後発組。

大きい会社もぎょうさんあったから、常に他と違うことを考えてました。
人は、制限されるのはイヤなもんです。
喪服というのは、色は黒。形は着物。そのルールは変えられない。
その中でどう変えるか。
制限の枠の中で、ふかーく掘り下げて考えさせられた、いつもいつも。

これはすごく知恵が出るんです。
深くなるクセがついた。
いつもそこにある常識を疑う。
日本のどの業界でもそうだと思うけど、僕はその『業界の常識」を疑う。
そこに挑戦して、ヒット商品をたくさん創りました。」

たとえば。着物を入れるバッグ。
和服を入れるものだから、と 着物の生地で作られていた。 
当時はそれが当たり前でした。

「僕はおかしいと思ったんです。
葬式に行く道すがら、バッグを持って歩く人は、洋服姿。
だったら洋服に合う着物ケースでなければおかしい。
それで外側は洋風の着物を入れるためのバッグを創りました。
これがねー、何万個という大ヒット商品になりました^^」

その他にも、それから日本女性の体格が急激に変わり、
それまでの和服の反物のサイズではそでの長さが足りなくなっていた。
そこで、そでの長さだけそ長くする特殊な反物を発売。

「オー!袖ミーヨ」のキャッチフレーズのポスターで、
これが爆発的にヒット、一世を風靡します。

あるいは、「不幸をイメージさせる喪服は売りにくい」という小売店の声から、
喪服でありながら、なんと白無垢の花嫁のポスターを作って
「喪服は嫁入り道具。女性のたしなみ」としてPRし、大評判に。

また見分けづらい葬儀用の草履に刺繍で名前を入れるように工夫したり・・・。
今となっては当たり前となっていることも、当時は革命的なことだったのだそうです。

「当時のメーカーはいうんはね、卸会社の方を向いて商売してました。
でも僕は小売店が喜ぶことをいつも考えてました。
小売店さんが喜んでくれたら、結果 卸の会社も喜ぶからね。
ま、そら成功したもんもあるけど、その裏には失敗もぎょうさんありましたよ(笑)」

「センスというのは、常に磨かんとあかん。
僕は人は見かけだと思っています。 
創業したとき、何もない、ゼロから会社を立ち上げて、女子社員一人だけ。
後発の僕は、小さいものを大きく見せないといけなかった。
それは「ハッタリ」ではなくて、いかにステキに、粋に見えるようにするか。
僕は、人は見かけだと思っています。
ものすごく大事だと思って、そこに気をつけて生きてきました。」

センスといえばね・・・。
「自宅を建てるときもね。 明るく広くするために壁をガラス製にしたい言うたんです。
僕が思うんは、住む者にとっての快適な家づくり。
それが設計者にはわからん。理解できへん。
『壁をガラスにするなんて、家に客が来たとき、
お嬢さんがお風呂から上がってきたらどうするんや』と言う。

『そんなもん、来客なんか年に10日もあるもんか。
たった10日のために、355日を犠牲にして暮らすなんて おかしいやろ。』

・・・設計士、ノイローゼになりましたわ(笑)

そやけど、言うとおりにせい、というて家が出来上がったら
『ものすごく 勉強になった、やっとわかった』て、言われました。」

はぁ〜。 
もう、一言、ひとことが深すぎます・・・。

「大事なことは、ほとんど人に教えてもらった。
人からアイデアをもらう。
そういうものがあるといいな、と思う。
だけどね、そこから「やる」のと「やらへん」のとは違うんです。
僕は『人の価値』いうんは、そこやと思う。

新しいことをやる、ということは、ほんまに大変。
お金も時間も、労力もほんまにかかります。
こうだったらいいな。と誰もが思う。だけど誰がそれを形にするか。
そこに挑戦するかどうか、だと 思います。」

それで、オリジナルブランドの作務衣や和風スーツを作られたのですね。

「そうそう、京都の天龍寺のヘンリーさんというお坊さんが、
上下が違うちょっとカッコイイ作務衣を着ておられたんです。
それをヒントにして作ったのが「樹利亜」という作務衣。 

それからある人が、着物地で作った和のスーツが20万円くらいで売られていた。
僕は、価格の安い洋服地で作ってみたんですよ。
それが、クツを履いて、洋服感覚で着られる和風スーツ「門」。
パンフレットのモデルはね、これ、私ですねん(^o^)」

か、か、かっこ良すぎです・・・!
俳優さんかと思いました(^^;) ↓

「ははは。 ところで、僕が今、一番思うのは「ツキ」についてなんですよ。
どうすればツくのか。
ツくにはどうしたらいいか。
どうも 法則あるような気がする・・・。」

ということで今回は、このあたりで・・・

つづく!

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株式会社 一杢  <http://company.ichimoku.co.jp/>
京都市中京区二条通油小路東入ル西大黒町1320番
TEL 075-256-7650  FAX 075-251-1353

京都育ちの自然派基礎化粧品 「京乃雪」
○オンラインショップ   <http://www.ichimoku.co.jp/>
○Yahoo!ショッピング店 <http://store.shopping.yahoo.co.jp/kyonoyuki/>
○甚平 作務衣 和風スーツ
門・樹亜羅 楽天市場店 <http://www.rakuten.ne.jp/gold/1moku/>
○「一着の鞄 ReTweed」
HP  <http://re-tweed.com/>
ブログ <http://retweed.blog53.fc2.com/>

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